高瀬川と坂本龍馬ゆかりの史跡巡り その2
御池通りを横断して北へ向かいます。
ここから長州藩屋敷があったところで、京都ホテルオークラがある区画です。
一之舟入場所です。
桂小五郎像です。
木戸孝允と名前が変わっていたんですね。。。。知らなんだ。。。。
京都には金閣、銀閣とありますが、銅閣もあるってご存知でしたか?
寧々の道の近くにあるそうですが。。。。。
京都へ観光に来た時には是非、銅閣も探してみてください。また一つ楽しみも増えますね。
このホテルが建築されるとき、景観が損なわれるため議論があったそうなんですが。
ここから南へ下がります。
そうです、ここが池田屋騒動があった場所。。。
ランチタイムには、池田屋の昼御前というメニューがありまして。
(月~金)12:00~14:00 ラストオーダー13:30
(土、日、祝)11:00~14:00 ラストオーダー13:30
■近藤勇御前8品1,500円
■土方歳三御前8品1,280円
■沖田総司御前7品980円
■斎藤一御前6品980円
とあります。
騒動にまつわるお話が聞けるらしいとの事です。是非一度ランチタイムに寄ってみてはいかがでしょうか?
私も行ってみたいですね~~。
高瀬川生洲
ここは生洲料理店の発祥の地だそうです。
鯉、鮒、鰻などの川魚や鴨などを生洲や庭に飼っておいて生鮮な料理を提供し、大変繁盛したそうです。
女人禁制で男性だけの清遊の場だったんですね。。。。
瑞泉寺です。
太閤秀吉の甥、豊臣秀次とその一族を弔うためにこの場所に建立されました。(三条大橋西南)
当時はまだ鴨川の河原であったこの地で秀次の子供、側室などの女性一族39人が無残にも公開処刑され、遺骸はその場に掘られた大きな穴に投げ込まれたそうです。
高瀬川の開削と「木屋町筋」の整備を開始した豪商 角倉了以は、洪水などで荒廃したその塚を拝み縁浅からぬ秀次一族を弔うための墓地と一寺をこの地に建立しました。
(輝空玄渓 記)より
続いて、坂本龍馬が住んでいた部屋が写真向かって2階の左側だそうです。
お店の名前が酢屋なんですが、実は295年続いている材木屋さんなんですね。
本当に歴史を感じます。