散歩道・山科疏水沿いの史跡ぐるり その2
散歩道・山科疏水沿いの史跡ぐるり その2
さあ、天智天皇陵へ向かいましょう。
藤原鎌足とともに大化の改新を主導したことで知られる、天智天皇の陵墓です。
天智天皇は大化の改新を行った20年後には都を大津京に移し、その後天智天皇となり、大津京からこの山科によく狩猟を楽しんでいたという。
約1300年前。。。にこの古墳が作られたそうです。
1300年前って。。。。すごいですね。
川沿いを歩いてゆきます。
贅沢な時間を頂いてますね~~。
分かりずらいですが、疏水と川が交差してます。
川沿いを歩いていたら何度かシロサギに出会いましたが、サギは単独行動で生活しているそうです。そういえばうちの近くにもサギがいますが団体行動をしているサギは見たことないですね。。。
安朱橋を渡って少し歩いたところに瑞光院があります。
吉良上野介を討った大石良雄らが切腹した際、その遺髪が寺内に葬られた。そうです。。。
境内には長短の墓や、大石良雄ら四十六義士の遺髪塔のほか良雄生前愛したという梅の古木がある。とのことですが、ここから見える梅でしょうか。。。。?
次は毘沙門堂へ向かいます。
文武天皇の勅願で行基によって開かれました。当初は出雲路にありましたが、1665年にこの山科安朱の地に再建されました。
めっちゃ急な階段やん。。。
護法山と号する天台宗の門跡寺院(皇族・貴族が住持を務める格式の高い寺院の称)で、春のしだれ桜と秋の紅葉が美しいと知られています。
鎌倉時代初期、平親範が平家ゆかりの3つの寺院(平等寺、尊重寺、護法寺)を合併する形で再興。
再建築を繰り返しながら現在の位置にとどまる。
今回は裏口から回ってきました。
裏口の方は。。。不動明王から階段を上っていきます。
表門から比べると坂道はなだらで登りやすいでしょう。
まだ桜は咲いていませんでしたが、満開だと見事でしょうね。。。
今回は中に入っていませんが、桜の満開の時期に拝観したいと思います。
今日のぐるりは毘沙門堂で終わりです。
が、私たちは山科疏水沿いの入り口を見たかったので、解散後そちらへ向かいました。
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